金星の赤道では、地面が時速6.5キロメートルで動いています。人が少し早足で歩く程度の速さです。金星は1回自転するのに243日もかかるため、これほどゆっくりとしか回りません。
ところが、その上空を覆う雲は時速360キロメートルで流れています。金星を1周するのに、わずか4日ほどしかかかりません。同じ星の上で、地面と大気の回る速さが約60倍も違っているのです。
大気は地面の上に乗っていますから、そこには当然摩擦が働きます。それでも大気だけが猛烈な速さで回り続けている状態を、スーパーローテーション(超回転)と呼びます。
半世紀にわたって謎とされてきたこの現象を、この記事では角運動量から見ていきます。

スーパーローテーションとは何か|自転243日に対し、雲は4日で1周
まず、言葉を定義します。
スーパーローテーションとは
惑星の大気が、その惑星の自転よりも速く回っている状態。超回転ともいう。金星と、土星の衛星タイタンで顕著に見られる。
数値で押さえておきましょう。
- 自転周期:約243日(しかも公転と逆向き)
- 赤道の地表が動く速さ:秒速約1.8メートル
- 雲頂(高度約70キロメートル)の風速:秒速約100メートル
- 雲が金星を1周する時間:約4~5日
この4~5日という周期は、探査機が金星へ行く前から知られていました。探査機による観測が始まる以前から、地上からの紫外線観測によって、雲の模様が約4日周期で同じ位置へ戻ってくることが見つかっていたのです。
1974年、水星へ向かう途中の探査機マリナー10号が紫外線フィルターで金星を撮影すると、全球に広がるY字型の模様として、その循環がはっきりと写りました。

風は高度によって変わる
超回転は、大気のどこでも同じように起きているわけではありません。
地表付近の風は、旧ソ連のベネラ着陸機の測定によれば秒速0.3〜1メートル程度で、ほとんど無風に近い状態です。高度が上がるにつれて風は強まり、雲層の上端にあたる高度65〜70キロメートルで秒速100メートル前後に達します。
さらに上へ行くと、様子が変わります。高度100キロメートルを超えたあたりからは、東西に回る流れが弱まり、太陽に照らされた昼側から夜側へ抜けていく流れがしだいに優勢になります。
つまり超回転は、雲層を中心とした高度帯の現象です。

「風が速い」では説明にならない理由|角運動量は減り続けるはず
超回転を「金星には強い風が吹いている」と言い換えても、何も説明したことになりません。問題は速さそのものではなく、その速さが保たれていることのほうにあります。
角運動量とは
回転の勢いを表す量。回転軸からの距離と、質量と、回る速さを掛け合わせたもの。外から力が働かなければ、全体の量は変わらない。これを角運動量保存則という。
金星の大気は軽くありません。地表の気圧は約92気圧、大気の総質量は約4.8×10²⁰キログラムで、地球の大気のおよそ90倍にあたります。この重い大気が、地面よりはるかに速く回っています。
ここで問題が生まれます。大気は地表に接しているため、地表付近では摩擦によって角運動量がやり取りされます。地面より速く回る大気は、摩擦によって減速されます。失われた角運動量は、金星本体のほうへ渡されます。
つまり超回転は、放っておけば弱まっていく状態です。地球の大気も、地表付近では摩擦によって地面の動きに引きずられ、惑星とほぼ一緒に回っています。
そう考えると、謎の主体が変わってきます。なぜ金星の大気は速いのか、ではないのです。摩擦で失われ続けている角運動量を、何が補い続けているのか。ここが本当の問題でした。

大気の循環だけでは足りない|運ぶ向きが逆になる
最初に思いつく答えは、大気の大循環でしょう。
子午面循環とは
赤道で暖められた大気が上昇し、極へ向かい、冷えて下降して赤道へ戻る、南北方向の循環。地球ではハドレー循環と呼ばれる。
金星は自転が遅いため、コリオリ力が弱く、地球よりも広い緯度範囲をまたぐ大規模な子午面循環が形成されます。
この循環は、確かに角運動量を運びます。赤道の上空で東向きに速く動いている空気が極方向へ運ばれると、回転軸からの距離が縮みます。フィギュアスケートの選手が腕を縮めると回転が速くなるのと同じ理屈で、その空気はさらに速く回ろうとします。
ところが、これでは赤道上空の超回転を説明できません。運ばれた先の高緯度は速くなるかもしれませんが、赤道側は角運動量を失う側だからです。実際、あかつきの観測でも、子午面循環は低緯度から角運動量を持ち出し、赤道の超回転を弱める向きに働いていることが確かめられています。
さらに、もっと一般的な制約があります。大気力学には、軸対称な循環だけでは、大気の内部に角運動量の極大を作れないという定理があります。ハイドの定理と呼ばれるものです。
この定理に従えば、角運動量が最も大きい場所は、境界、つまり惑星の表面に接する部分になるはずでしょう。
金星の大気は、この予想を破っています。地面から遠く離れた雲層で、角運動量が最大になっているのです。滑らかで軸対称な循環だけでは、この構造は作れません。
何か非対称なもの、すなわち波が関わっていることになります。
加速源は太陽が作る波|熱潮汐波が運動量を持ち上げる
熱潮汐波とは
太陽の加熱が昼側に偏ることによって大気に生じる波。太陽に対して位置がほぼ固定された加熱パターンによって励起される。潮汐という名がついているが、月の重力ではなく太陽の熱が源。
金星の雲は硫酸の粒でできていて、太陽の紫外線をよく吸収します。太陽光の大半は地表まで届かず、高度60キロメートル前後の雲層で吸収されてしまいます。加熱が起きる場所が高いところにある。これが金星大気の大きな特徴です。
太陽による加熱のパターンは、太陽に対してほぼ固定されています。一方、大気はこの加熱パターンの下を流れていきます。そのため空気の側から見ると、周期的な加熱と冷却を繰り返し受けることになります。
周期的な力を受けた流体は、波を作ります。これが熱潮汐波です。金星では、太陽の動きを基準にした日周期・半日周期の成分が重要な役割を果たしています。
そして波には、運動量を運ぶという性質があります。波そのものが空気をそのまま遠くまで運ぶわけではありません。それでも、運動量を別の場所へ運ぶことはできます。
雲層で生まれた熱潮汐波は上下方向へ伝わり、減衰したり砕けたりする高度で、その運動量を周囲の大気に渡します。受け取った層の風は、その分だけ加速されます。
波が運動量を運ぶという性質そのものは、自転する惑星の大気に現れる別の波でも同じように働いています。

2020年、あかつきの観測を用いた研究から、熱潮汐波が金星の超回転を支える重要な仕組みであることが明らかになりました。紫外線カメラと赤外線カメラで撮影した雲の画像から、雲の動きを従来より高い精度で追跡し、風速の分布を求めた成果です。
その結果、低緯度の雲頂では熱潮汐波が角運動量を供給しており、これが超回転を維持する主要な要因になっていることが示されました。

収支として釣り合っている|中高緯度は波と乱流が担う
ここまでに出てきた輸送を、向きで整理してみます。
金星の雲層では、角運動量をめぐって複数の働きが同時に進行しています。
- 熱潮汐波:低緯度に角運動量を供給し、超回転を強める
- 子午面循環:低緯度から高緯度へ角運動量を運び出し、超回転を弱める
- 惑星規模の波と乱流:中高緯度で角運動量を輸送し、循環による持ち出しを部分的に打ち消す
低緯度では熱潮汐波が供給の主役ですが、中緯度から高緯度にかけては、熱潮汐波以外の波と乱流の寄与が大きくなります。緯度によって、超回転を支える担当が入れ替わっている構図です。
大切なのは、これが釣り合った状態だという点でしょう。金星の大気は、大昔に一度加速されて、そのまま慣性で回り続けているのではありません。今この瞬間も、摩擦で失われる分と、波が供給する分がせめぎ合っています。
超回転とは、静止した性質ではなく、動き続ける収支の結果なのです。
地表付近の風が遅いことも、この構図と矛盾しません。加熱も波の発生も雲層付近で起きるため、強い超回転はそこで特に顕著になります。地面に近づくほど摩擦の影響が強くなり、風は弱まっていきます。
なお、この収支を測るためには、雲の動きを長期間にわたって高精度で追い続ける必要がありました。それを可能にした探査機自身が、軌道投入に失敗してから5年後に復活したという経緯を持っています。
なぜ地球では起きないのか|自転の速さが分ける
地球にもジェット気流という速い風があります。上空では秒速数十メートルに達しますが、これは超回転ではありません。地球の大気は、全体として見れば地面とほぼ同じ速さで回っているからです。
局所的に速い風が吹くことと、大気全体が惑星を追い越すことは、別の現象です。
金星と地球を分けている条件は、主に3つあります。
1つ目は自転の速さです。
地球は24時間で1回転するため、コリオリ力が強く働きます。南北方向の流れは東西へ曲げられ、大気の循環は緯度ごとの構造を持ちます。
金星では自転が遅いためコリオリ力が弱く、地球よりも広い緯度範囲をまたぐ大規模な循環が形成されます。
ちなみに、金星の自転が遅く、しかも逆向きである理由そのものは、まだ決着していない問題です。
2つ目は、加熱される高度です。
地球では太陽光の多くが地表まで届き、大気は地表からの熱によって暖められます。金星では厚い雲が高いところで太陽光を吸収するため、大気の上のほうが直接暖められます。熱潮汐波が強く励起されるのは、この違いによります。
3つ目は大気の量です。
金星の大気は地球の約90倍の質量を持ち、非常に厚い大気を形成しています。この厚い大気の中で、太陽による加熱と大気の大規模な循環が結びつき、金星特有の大気力学が生まれています。
同じ条件がそろえば、金星以外でも超回転が起こりえます。土星の衛星タイタンは自転周期が約16日と遅く、厚い窒素大気を持っていて、やはり大気が自転より速く回っていることが確かめられています。
金星は特殊な例外というわけではありません。遅い自転と厚い大気を持つ惑星・衛星では、超回転が生まれやすい条件がそろいます。

まとめ|だから何がわかったか
ここまでを整理します。
超回転は、速さの問題ではありませんでした。摩擦で角運動量が失われ続けているのに、それを補う輸送が続いている。その収支が問題の本体です。
金星の大気が速いのは、一度速くなったからではなく、今も角運動量が供給され続けているからだといえます。
そして、その大気を回している主役は、自転そのものではなく、太陽の熱が生み出す波です。
正確には、太陽の加熱が熱潮汐波を生み、その波が角運動量を運ぶことで、大気の超回転が維持されています。
地球では、惑星の自転が大気の運動を大きく左右しています。ところが金星では、自転があまりにも遅いため、太陽の加熱が生み出す熱潮汐波が、大気の運動を考えるうえで重要な役割を担っています。
惑星の大気を何が支配するのかは、自転の速さだけでなく、どこでどのように加熱されるかによっても変わります。金星は、その違いが極端な形で現れた例です。
最後に残るのは、波という存在の重さでしょう。
波そのものが空気を遠くまで運ぶわけではありません。それでも運動量は運べます。この一見地味な性質が、92気圧という途方もない量の大気を、惑星ごと追い越す速さで回し続けています。
夕方の西の空に、金星はひときわ明るい点として輝いています。望遠鏡を向けても見えるのは滑らかな白い面だけで、模様はほとんど判別できません。その白さは、太陽光をはね返している硫酸の雲そのものです。
あの雲は今も秒速100メートルほどで流れ、約4~5日で金星を1周しています。
地面が人の歩く速さでしか動かない星の上で、大気だけが太陽の熱によって生まれた波に支えられ、回り続けているのです。
参考文献
- NASA|Venus Facts
- Horinouchi et al. (2020)|How waves and turbulence maintain the super-rotation of Venus’ atmosphere, Science 368, 405
- JAXA/ISAS|How waves and turbulence maintain the super-rotation of Venus’ atmosphere
- Hokkaido University|Atmospheric tidal waves maintain Venus’ super-rotation
- NASA/JPL|Venus from Mariner 10 (PIA23791)